|
配置図
|
|
◆滝沢屋(旧丹野家) |
丹野家は江戸時代に庄屋を務めた由緒ある家柄で、屋号を「滝沢家」と称し、「滝沢諸白」という銘酒の造り酒屋でもあり、脇本陣、また旅籠屋としても活躍し、大名や上級武士の宿泊、休息に利用され、その関札が遺されています。
建築年代は明かではありませんが、宝暦7年(1757)楢下の大水害以後の建築で、230年余を経過した建物であると推測されます。 |
|
|
集落の真ん中を流れる金山川には、明治13年、最先端技術を駆使して石造りの珍しい眼鏡橋がかけられ、落ち着いた情緒をかもし出してします。 |
|
|
今に残る同地の「庄内屋」とともに、下町における本格的な宿泊施設であり、保存状態も良好で、貴重な遺構建築物として平成7年12月8日山形県の有形文化財に指定されました。
|
〔史跡〕 羽州街道 楢下宿(ならげしゅく)・金山越(かなやまごえ)
|
|
|
◆庄内屋
|
この建物は、下町(本町)にある脇本陣で、準本陣級の格式を持ち、庄内藩主の常宿とされ、庄内侯の煙草盆や拝領品が今に遺されていますが、そのほかの藩侯の宿札も遺されているので、広く利用されていたとみられます。「庄内屋」は楢下に遺された家屋の中では最も古い時期のもので、18世紀中期ごろに建てられたものと推測されます。 |
|
|
◆大黒屋
|
大黒屋は楢下の下町にあって、元脇本陣滝沢屋の南隣に位置する由緒ある家柄です。建築年代は隣地の一部を借用した証文によると、文化5年(1808)のようです。これは主屋を除き他所から解体した建てt物をそのまま客座敷として建てるための借地であり、この古材の年代も含めればその部分はさらに50年ほどさかのぼるものと思われます。 |
|
|
◆旧武田家
|
旧武田家は南北にのびる新町の道路西側に位置します。宝暦8年(1758)の屋敷割絵図に「旅籠屋」であることが明記されており、また、台所改造の際、「宝暦九うノ六月吉日」と木内に墨書のあるのが発見され、建築年次も明確にされる貴重な遺構です。 |
|
宿場町 楢下の集落構成
|
|
※楢下宿にはご案内役がおります。楢下宿ボランティアガイドはこちら
|
|